学童保育との悪戦苦闘日記


「弱気・強気の「バランスと尊重」の理解が大事


前投稿記事は、今読み返してみると浮かんだままの考えをそのまま書いた感じで、論理の飛躍があったりして読みにくかったりしていますが、敢えて訂正せずに掲載したままにしておきます。さて今回は、前回の補足です。「弱気を出す」とは、「頑張りすぎない」という意識からということで、それはそれで良いこと。でも、「頑張る(強気)ということ」が別に悪いことではない。「~しすぎる」ことが問題で、それを適宜控える必要がある。「しすぎる」ことが続くと、「病(やまい)」になる傾向があるからである。また、「弱気になり過ぎ」ても、同じく「病」になる傾向がある。何事も「ほどよい塩梅(あんばい)」が大事。日々、学童のお子さん達をみていると、わりと「強気の子が多い」ので「衝突・喧嘩」が起こる事が多い。でも、多くは「自分の要求が通らない」ことが原因。お互いに「自分の要求を押し通そうとすること(強気)」なので、少なくともどちらかが「折れる(弱気)」ことを「学ぶ」ことができれば解決する。これは、「謝る(弱気)」行為が「互いを許す(受け入れる)」ことと同じことだと理解出来ればなおさら良い。この場合には、「弱気」を出すことは、「負け」を意味するのでは決してなく、「お互いを尊重する」ということであって、それが理解できるかどうかである。だから、「共に弱気になること」は、「許しあう」ことに繋がる。しかしながら、どちらか一方だけが折れただけでは、根本的な解決にならない。この場合、「強気」側が正当化され、「弱気」側が「悪い」という意識が残ったままなので。場合によっては、「いじめ」に発展する可能性がある。トラブルの時は、「共に折れて、許しあう(弱気を出す)」ことが大事。一方、「競争・勝負」の時には、「強気である姿勢」が大事になる。その始まりと終わりには必ず、「互いにお辞儀や握手」などを行い、「お互いを尊重して闘うこと」を意思表示を示す。さて、以前に疑問に思ったことがあるのだが、小学校の運動会で「競争のときに、順位を付けない(弱気)」、つまり、「勝負をつけない(弱気)」ということを聞いて、「ん???」と感じた。なんか、管理上の問題なのかわからないが、「一律で、弱気な姿勢・考え方で統一する」ことは、少なくとも私は、「教育」の観点からして、好ましくない姿勢と考える。「生きる」ための教育であれば、取り巻く環境・世界に対して「強気な姿勢でいること」の重要さを理解すべきだからである。何もしなければ、「死(弱気)」に至るのが自然原理である。だからと言って、「いつでも強気で行け!」ということではない。とは言っても、「強気・弱気の共存が大事」であることは否定できない。学童時期における教育では、「弱気奨励ではなく、「弱気・強気の「バランスと尊重」の理解」が、とても大事」であると私は思うのである。

【2024-08-30 16:40:12】

2024-09-09 01:10:27

奥が深い言葉に出逢う。。。「やらない善より、やる偽善」


数週間前に、帰り道のいつものバス停で、バスを待っていると、目的のバスではないが目の前に停車していたバスの側面広告がバーンと目に入った。「~子供のためにできること~ やらない善より、やる偽善。」という広告。「ん???」と思って、考えたが、すぐには意味がわからなかった。その夜ずーと考えたがよく分からなかった。時間が経って、今日たまたま、またその広告のバスに出逢った。そして、また、私は考え出した。「どういう意味だろ???」と。。。今日、インターネットで検索してみた。そうしたら、色々と解釈が書いてあった。でも、私には「これ違うんじゃないか???」と感じた。つまり、簡単に言えば「善い行いをすべきだ」と説明してあるのがほとんどであったのに違和感を感じた。私は色々と考えた挙句、。次のように捉えた。「善いとされる行いをするくらいなら、偽善を敢えてやろう」という解釈した。平たく言えば、「反面教師をあえてやろう!」と解釈。荒っぽい言葉で言えば、「すかしてんじゃねーよ!いい子に見せてんじゃねーよ。きれいに着飾ってんじゃねーよ!逃げてんじゃねーよ!俺みてーに、バカやって、非常識やって、何が悪い!!それをみて、自分で物事をその価値を自分で考えてみろよ!俺みてーになりたくなかったら、もっと自分のこと考えてみろよ!何が正しくて、何が間違っているのかをな!!!自分の頭でせーいっぱい考えてな!!!」という表現になろうかと。。。 今の時代、「挫折をさせないような教育がされている」ように思える。最近の教育は、「あえて弱気を出す」ことを奨励されるが、ひと頃昔は「強気を評価する」ということが多かった。つまり、バランスの考え方からすれば、「まるい形を良いものとされ(弱気)、角ばったものは、出来るだけ、避けようとし、悪いこと(強気)」と見なされる。このように、今の時代は「当たり障りない態度・行動が善いこと!」と考えられていて、結局、親も教育者も「子どもを危険(強気)から遠ざける。それが自分も他者も守ること(弱気)だと。」考えているように思えてならない。子どもは「何が危険で、何が悪いこと(強気・弱気のバランス)だと分からずに、ガードかけて、その与えられるままに受け身のままに実体験せず(バーチャルリアリティー)に育つ。つまり、未経験(出逢わない)のために、自分の頭で考えずに、また、処理できずに育つ。」のではないかと思えるのである。以上の議論は、よくある「エネルギーの平衡」の考え方で進めていますが。乱文乱筆になりまして申し訳ございません。今回の話は、ここまでで終えることと致します。今回の「イイタイコト」は、【バーチャル世界(作り物の価値)と、リアルな世界(本物の価値)の実体験の比較からこそ、「自分の生き方、物事の本質を学ぶことができる】という考えに至ると考えることです。

【2024-08-29 22:32:03】

2024-09-09 01:09:08

日々の学童保育での『奮闘や考えること』を綴る! スタート!


こんにちは。
浦郷ふじ学童クラブ2の責任者の佐藤です。
本日より『学童保育との奮闘記』と称して、日々「考えること」や「奮闘記録」などを気ままに綴って行けたらと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

※ なお、初めのいくつかの記事は「NEWS」セクションに記載されていたもので、こちらに移動いたしました。

2024-09-09 00:56:38


Copyright © 浦郷ふじ学童クラブ2 2024