「えええ?? 壊さないとダメ?? いいじゃん! 壊さなくても!」と以前はよく挙がった子供たちの声。ジグソーパズル、レゴブロック、ドミノなどの遊びをしていて、「おやつの時間」や「外遊び時間」などに移行する際には、いったんリセットしてもらうようにしている。そうでないと、その遊具を独占してしまい他のお子さんが使えなくなることからそうしている。学童所の壁にも「遊び終えたら、自分の作品を壊すこと!」と張り紙をしている。最近は、このことがもう定着したようで、特に言わなくても「自ら作品を『こわす』こと」をしてくれている。自分だけの欲求だけでなく、「相手つまりお友達の気持ちを理解できるような行動ができる」ような環境づくりを学童所として日頃から行っている。確かに「まったく同じものを創ること」は、なかなか難しいことではあると思うが、一方で、敢えて「壊した」ことで、次に取り組むときは「新たなるアイデアを得て、より良いモノが創られる」こともあることを強調したい。「学習は、経験・反復に依って強化される」ことは、確かであるので。ただ、「この作品をお迎えの時に見せたいんだ!」というお子さんもいて、迷うところだが、例外を作ると収集がつかなくなるので、お迎えまでに時間がかなりある場合には、やはりこの場合も「作品をこわす」ことをしてもらう。学童所のルールの一つ一つに「意味と願い」があることを子供たちに伝えていく毎日が繰り返されていく。
2024-09-26 09:10:18
子どもは「散らかすのが上手い」。思いっきり遊ぶことは、大いに結構。しかし、「あと、後片付けが上手ければねえ。。。」と思わずにはいられない。そう言う毎日が繰り返される。お迎えがやってくると「○○さん、お迎えが来たよお!」と声かけして、指導員もランドセル置き場に向い、「帽子持った?水筒持った?筆記用具入れた??」などと声かけして、忘れ物がないようにチェックする。それでも、日々何かしら忘れ物が出てくるものだ。日々の遊びは基本「室内遊び」が大半を占めるが、天気の良い日は、それプラス「外遊び」がある。「室内遊び」では、本読み、ブロック遊び、トランプ遊び、将棋・オセロゲーム、ジグソーパズルなどなどが日々展開されるわけだが、小さくて数が多いパーツの遊びでは、必ずっていうほど、片付け忘れをしてしまう。特に、お迎えが来たりすると、遊んでいたモノをすっかり忘れて『後片付けせず』に帰宅してしまうお子さんがチラホラいたりする。なので、一緒に遊んでいたのであれば、お友達同士で『片付けてね!!!』を言い合い「助け合う」ようアドバイスしている。お友達同士の声の掛け合いで事が済むのであればその方が良い。むしろ、その方が『自主性が育つ』ので良い。別のケースだが、ランドセル置き場がいつの間にか、ゴミ置き場ならぬ「なんでも置き場」に化していく問題もあった。そこで、夏休み前頃から、わが学童のルールの一つとして、「帰るときには、ランドセル置き場は『空っぽに』すること!」を徹底している。最初のころは子供たちも戸惑いを感じるお子さんもいたが、最近では当たり前の状態になってきた。子どもたちが全員帰った後は、ランドセル置き場は「きれいに空っぽ」になっていて、このほうが断然気持ちが良い。子供たちにとっても、毎日やってきたときに、この『空っぽ状態』は気持ちよさを与えるはずだ。学童所での一日のスタートに相応しく。以上のような感じで、小学生低学年にとっては『後片付け』は毎年の課題であり、定着まで時間がかかるものとして、指導員たちは子どもたちの成長を毎日見守り続けている。
2024-09-25 09:02:42
「あっ、ピアノが復活してる!!! 直ったのお??」とか「やったあ!!ピアノができるよお!!」などと子どもたちが帰ってきて声が飛び交う。そう、1年以上前になるかな、ピアノが壊されて。。。ある時、ある子どもが「ピアノが壊れてるよお!」と知らせてきた。見てみると、鍵盤の一つが折れていた。見事にきれいに。遊んでいた子どもたちに聞いてみると「鍵盤になんが肘を乗せていたら、折れた。」と伝えてくれた。「まあ、しょうがないね。体重かければ、そりゃあ、折れちゃうもんだよ。直しておくから、今日からしばらく使えないからね。」と声かけした。他の遊具でも、こんな感じのことが、時々起こる。小学低学年生が多いので、よくあることだ。この場合、折れた鍵盤は、アロンアルファで接着して乾燥させれば、あっという間に直る。ただ、「モノを大事にしてもらうこと」を理解してもらうため、大抵は「一定期間のお預け状態」を設けることにしている。「当たり前のように使える」ということじゃないんだ、ということを分かってもらうため、敢えて「不自由な状態」を子どもたちに与えている。子どもたちの様子をよく見て、忘れた頃に「復活」させる。この電子ピアノは、ずいぶん前に学童所の近所に住むおばあちゃんが「孫が使っていたんだけど、使わなくなったので、良かったら使って下さい。」と、好意で頂いたものだ。学童クラブ活動費では、費用がかかる物は、なかなか買えないので、とても有り難いこと。もちろん中古なので、年数も経って傷んだり劣化していたりする。なので、ただでさえ「壊れやすい」もの。子供達にはそのようなことをちゃんと伝えてきているのだが、やはり「壊れる」ことは起こってしまう。別のケースでは、ここ「浦郷ふじ学童クラブ2」では、現在、学童が自由に使えるパソコンを3台設置している。音楽・動画をローカルで聴いたり観れたりするパソコン1台、プログラミング専用1台、学習専用1台である。パソコン関係は、特に管理が大変だ。今の時代、小学生低学年から「パソコン教育」がなされているので、低学年でもスキルの高いお子さんもいたりする。なので、気を付けてみていないと、設定を勝手に変更してしまったり、削除されてしまったりと、色々と問題が起こる。一応、パソコンを扱うにあたり、子どもたちに向けて「使用の最低限のマナーやルール」をパソコン近くの壁に掲示していて、守ってもらうようにお願いしているが、それでも「ルールを破る」出来事が起こる。まあ、一応、色々と想定してセキュリティーなどをかけてはいるのだが。。。時々起こるのが、テキストエディターで「バイナリファイル」を開いてしまうこと。そのほとんどは、子どもがよく分からずして開いてしまい、そのまま上書き保存して「文字コード変換処理」されてしまう出来事。そうすると、そのバイナリファイルを使用しているアプリケーションが動かなくなってしまうので、とても困るのだ。まあ、悪意があってやったわけでもないのが殆どだが、とても困る事態だ。このケースでも、内容によっては「使用できない「お預け状態」の期間」を設けている。何事も「失敗と経験で学ぶ成長」を経てこそ、だと思うので、こちら指導員も寛容な心を持ち続けつつ子どもたちの「行動」を見守り、また、子どもたち自身が「やっていいこと、いけないこと」の判断を正しく下せるような見守りをこれからも引き続き続けていきたく思う。
2024-09-23 16:30:46
「ねえ、皆さん、聞いてくれるかな?みんなに紹介したいものがあるんだけど。。。」と先日、学童の子供たちに呼びかけてみた。「昔ねえ。僕が小学生だった頃に、すごく流行ってたんだけどね。「スーパーカー消しゴム」って、知ってる?? 知ってる人、手挙げてくれるかな??」、しばらくしても「しーーーん。」て感じで、もちろん、知っている人はいなかった。「ランボルギーニ。カウンタック。ポルシェ。。。など、知ってる人いる??」と聞いてみた。「ポルシェなら知ってるよ。。。」という子どもの声があった。「そのスポーツカーってやつの消しゴムで遊ぶんだ!」と声掛けした。そこで、スーパーカー消しゴムの一つを、子どもたちに見せて、それと「BOXY ボールペン」も一緒に見せてみた。子供たちは「なあに??なあに??」と興味津々の声が上がる。そこで、テーブルにそれらを置いて、「こうやってやるんだよ。」というように、僕は、遊び方をやって見せた。「ふぅーん。面白そう!!やってみたい!!」と、特に、男の子たちが寄ってきた。そこで、子どもたちに学童所に既にある遊具「ドミノ・ブロック」を用意してもらい、道を作らせてみた。そして、スタートラインに、自分が好きな「スーパーカー消しゴム」を選んでもらい、スタートラインに並ばせた。「よーし、いいかい??。こうやって、ぱっちんボールペンを使って、順番に車を走らせて、ゴール目がけて進むんだ。最初にゴールした人が勝ち!って感じでね!やってごらん!!」とアドバイス。すると、子供たちは、先ず「ドミノブロック」を使って、「進ませる道」を個性豊かに作り上げていった。「なかなかイイ感じだ!!」と子どもたちに声を掛けた。しばらくして、子供たちは、スーパーカー消しゴムの後部を、見よう見まねで、ぱっちんボールペンでトライしてみている。しかしながら、上手くコツがつかめず四苦八苦していたようだ。すかさず僕は「こうやるんだよ!」とアドバイス。何度かトライしているうちに、上手く進ませることができたよう。「スピンもできるんだよ!」と、色々とやって見せる。何だかんだで、僕が小学校時代によくやった「昭和時代の昔遊び」の紹介ができた。今の子供たちに知ってもらうことが出来たので良かったと思う。今の時代、精巧なゲーム機などで遊ぶことが多いが、このような「素朴な遊び」の伝承も、良いものではと思うのである。まあ、昔は、1回20円でできた「ガチャガチャ」で「スーパーカー消しゴム」を沢山ゲットしたものだが、今回の「スーパーカー消しゴム」は、それとは違うもので、昔ながらのスーパーカー消しゴムは、もう何処にも販売していないよう。今回ネットで購入した「カー消しゴム」は、大きさも2倍で、重さも倍増で、値段も何倍もする。しかも、ぱっちんボールペンでは、あまり進まなかった感じで昔のイメージと同じとは言えないが、それはそれで楽しめたので良かったかなと。。。小学校でも「昔遊び」については行うと思うが、学童所ならではの「昔遊び伝承」も、これからも随時行えたらと思うのである。
2024-09-22 14:57:38
「ただいまあ!!」と子どもたちが学童所に帰ってくると、一目散に、遊具「レゴブロック」に向っていく毎日がここ最近の風景になっている。男の子も女の子も関係なく夢中になっている。時には、特徴ある「パーツ」の取り合いが起こり、喧嘩になることもしばしば。そんな中で、各自の自慢の作品を作り上げていき、仲良く遊ぶ姿。一人ひとりの作品に個性が溢れている。どう考えたら、こんな形が作られていくのだろうか?と感心せずにはいられない。私自身は常日頃から「ブロック遊び」に秘める「偉大なる可能性」を感じ、その可能性を毎日、保育の中で見守っている。まあ、ブロック遊びは2、3歳からでもできる「遊び」であり、「飽きてしまうのでは?」と思うが、そうではない。子供たちにとっては「当たり前の遊具」であるに違いないが、いくつになっても「夢中になって遊ぶ」ことができ、「年齢に応じた創造力」によって、「より複雑で、より高機能な作品」をも創り上げる。この「創造力・論理力」育成には「ブロック遊び」が安全であり、しかも、ベストであるのは間違いない。「ブロック遊び」は、言うまでもなく「単一ユニットから複合ユニットを組み立てる」遊びであるが、「組み立てる」作業が「プロセス(過程)理解力」そのものを育てる。宇宙の万物のすべては、何かしらの「ユニット」が単位となって、それが多数結合し、「新たなるモノ」が創造される。理系ものでは、このことは普通に考えられることであるが、文系ものでも全く同じことが言える。「文章は、所詮、単語の連結である」こと。文章理解力は、「ユニットの結合の構造理解力」であること。それを「文法力」、「文章力」と言われたりするが。いまブームの「自然言語処理」系は、まさにそういうトッピクである。最近はどこもかしこも「ChatGPT」や「生成AI」の話題ばかりであるが。。。私がコンピューターを使い始めた頃、「日本語処理ソフト」といえば、ジャストシステムの「ATOK」であり、日本語変換においてはピカイチであった。いまはMicrosoft IMEで私は間に合わせているが、いまでも「ATOK」は信頼性一番だと思う。また、私も休日に家族のために料理をしたりすることがあるが、「料理」作りについても「ブロック理解」が活きる。私はよく言うのであるが、「カレーライスができれば、シチューだってできる。ハンバーグができれば、メンチカツだってできる。」と。「構造理解」が大事だと。今の時代、ネットで検索すれば、「料理レシピ」は沢山ある。それをよく見てみると、「共通項」が見えてくる。「何が同じで、何が違っているのか」を。経験を重ねていくと、レシピを見なくても同じようなジャンルについては、「共通の手順・調味料配分」によって、「オリジナル」も美味しく作れるようになる。今の時代のAIは、「ビッグデータ」をもとにした「機械学習」と「統計的類推」で可能にした「自然言語処理」であるが、これまでも、普通に私たちは「反復学習」という「経験」の繰り返しによって「学力(学ぶ力)」を上げてきた。そもそも「ニューラルネットワーク」は「人の脳の模倣」に過ぎないのだから。「コンピューターはいつしか人を超えるかもしれない」と言われていたりするが、そんなことに振り回されるより、人本来の「人の可能性を最大限に活用する」ことを忘れてはならない。コンピューターがインターネットでデータを集めるのなら、「人は、これまで以上に【 読書を沢山しよう!!! 】」という努力を続けていくことが大事であると思う。特に、年齢適性の書物を読み続けることは、「バランス良く、あらゆる力を育む」ことに繋がる。それはついでに「生きる力を育む」ことになる。小学生時代に、ありふれた「ブロック遊び」を通じて「物事のメカニズム理解の疑似体験」を如何に重ねてきたかどうかで、それ以降の「問題解決能力」に大きく差がついてくるだろうと考える。よく言われることであるが、ひと頃昔は、小さい頃に、家にあるものを片っ端から分解してはモノを壊す、という風景は当たり前にあって、よく親に𠮟られたという話はよく聞かれた。かつて私自身も、よくモノを分解して壊して「なるほどね。こうなってるんだあ。」などと感じては、よく𠮟られたものだ。ここで大事なのは、「壊して終わる」のではなく、一歩進んで、「元通りに修復する」ことができていれば、いうことはない。というより、「修復」までできる力を身に付けるべきである。「修復力」を身に付けてこそである。今の時代、「壊れたら、買えばいい」という考えが常識みたいだが、私は、そうは考えない。「どこが壊れた?どうすれば直る(治る)?どうすれば、元通りに修復できる?」と私は考える人である。そう、「5W1H」の発想で、その中でも「WHY?(なぜ?)Because(何故ならば)」という自問自答ができることこそが、今の時代では、「未来に繋ぐ生きる力」として、不可欠な「求められている力」であると思う。「エンジニア不足」が言われて続けて久しい。「壊れたら、捨てる。新しいものを買えばいい。」という考えでは「エンジニアは育たない」。今の時代「中国に限らず、アジア諸国の技術力向上」は目覚ましい。いまこそ「メイド・イン・ジャパン」に誇りを持ち、「日本の技術力って、すげえなあー!!!」という「世界を圧倒させるような技術を産み出す」教育が、必要なのではないだろうか。。。
2024-09-20 11:17:00